2021年9月3日の日記

さて、夏休みも終わり、子供の宿題も親としての責任を果たすくらいには手伝い、何とか始業式を迎えることができました。よかったですね。

始業式の朝まで「毎日夏休みなら良いのに」とブツクサ言っとる我が君・息子氏に、「そうだね、そして毎日同じ量の宿題をこなしてたら、頭良くなっちゃうね!」と返したら、「宿題が無くて毎日夏休みが良いのに!」とひねくれてしまいました。我が子の「のび太化」であります。

こんな時にドラえもんがいてくれたら、「仕方ないなあ」といい、何か秘密道具でも出してくれるのでしょう。そしてそれに味をしめたのび太が、余計なことを思いついて悪用、毎度おなじみ破滅へのプレリュードであります。

いつも思うのですが、この甘やかしは「未来のセワシくんの生活を向上させる」というドラえもんが本来持っているミッションの達成を阻害してはいないでしょうか。

私がセワシ君だとしたら、一向に改善されない自分の生活環境に業を煮やし、ドラえもんを呼び出し進捗状況を確認、いくつかのケースをサンプルとして抽出して行動チェック、それらを評価したのちに「のび太の成長」というあいまいなゴールを撤廃して、定期的にチェックポイントを設けて定量的なゴールを設定しなおし、ゴールに向かってのび太をひたすらシゴキ上げる鬼畜マシーン「怒羅衛門」として、この青だぬきロボットの行動プログラムを調整するくらいのことはしたいものです。

まあでも、22世紀から来ている人たちですから、ものすごい合理化の上で今の状態を許容しているのかもしれません。意外と陰ではしっかりと進捗管理しているのかも。もしかしたら22世紀は「過度なシゴキはNG」という教育方針が主流なのかもしれないし。だとしたら暗記パンで物理的に詰め込み教育したアレは何だったのかとも思いますが。

そもそもですが、セワシ君の生活向上とのび太の成長には相関関係があるのでしょうか。のび太が既定路線以上に成長してしまうと、のび太の人生の選択肢が変わってしまうのでは。仮にしずかちゃんとのび太が結婚したら、セワシ君は自分の祖先が変わってしまうことになり、今のセワシ君の生活環境が改善されるとはとても思えません。

下手したら自分が消えて無くなるリスクがあり、うまくいったところで別の時間軸の別人格のセワシ君が幸せになるだけ。しかし、それこそが彼の願う結果なのだとしたら、あまりにも自己犠牲的、心がおおらかすぎるのではないでしょうか。まあ、そのあたりの問題点は当然どこかで語られているのでしょうが。

今日、ドラえもんの誕生日に、そんなことを考えたりしました。