2022年5月1日の日記

先日子供の国語の宿題を見ていて、空き時間で国語辞典パラパラめくっていたら「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉が出てきたのです。

そういえばこんな言葉あったよね、懐かしいな、いい言葉だな。と思ったのですが、こうも思いました。「はたして聞くことは一時の恥なのだろうか」と。

日常の場面でも「聞いて怒られるのが怖いから」とか「無知無知野郎だと思われるのが嫌だから」とか、「一時の恥」を避けようと聞くのをやめ、個人的に、ひどいときには組織として損をしている場面に出くわすことがあります。でも「一時の恥」を我慢すれば、解決策や知識を得ることができ、結果を得をするんだよ、と。

でもね、一時でも「恥」はツラいですよ。「菊と刀」ですよ。日本人だもの。観られていなければどうということはない、というか、赤信号みんなで渡れば怖くない、というか、そんな心理、よくわかります。

それなら、人が聞くことを「一時の恥」としないような周囲の態勢が整っていれば、人は聞くことに躊躇しなくなり、解決策や知識をドンドン得て、結果として人類皆win-winになるんじゃねえの。と、ノーベル平和賞的な考えを私は持つことに成功したのです。すごいじゃん、私。

で、ここまで考えて、これってGoogleなどで話題の「心理的安全性」の話に近いなと思い、私の誇りはどこかへ霧散してしまったのですが、どちらにしろ「聞くは一時の恥」という言葉は、現代に即したように変えたほうが良いよなーと思うに至りました。勝手に。

最終的には「聞くこと恥ずかしいことじゃないよ、得しかないよ、聞かないとマジで損だよ」ということが言いたいわけですから、それを当てはめてみると「聞くは一生の得、聞かぬは一生の損」でしょうか。なんか決め込みすぎててダサい。もっとポップに行きたいなあ、と思い、他の言葉を持ってきてはめ込んでみた結果、

「聞かぬ阿呆に聞く阿呆、同じ阿呆なら聞かなきゃソンソン!」

というなんとも救いようのない言葉が出来上がるのですが、誰かなんとか上手いこと言いかえてもらえないものでしょうか。