2023年6月23日の日記

ここんところSNS上で長文を読むと、必ずと言っていいほど書き手の方が「長文ですみません」的なエクスキューズを入れ、読み手の方も「長文ですが読みました」とかなり上の方から"読んであげました"感を出すのですが、これって国連だか政府だかインターネッツ協会だかが「長文はイーブル。」という声明でも出してるんでしょうか?だとすると、元より長文派、書くのも読むのも好きな私としては困ってしまいます。

読む方は、どちらかといえば「長文だから読みませんでした」と書いた方が、書き手に対する一定の効力がありそうなもんですが、あれですかね、「長文だけどオモロいから読んでやったぜ、でも次からは注意な、はい、イエローカード」という意味合いがこもっているんですかね。優しくも厳しいインターネッツ長文の世界。

書く方も書く方で「長文ですみません」と書くくらいなら短く書けばいいのに、と思う一方で、伝わる説明などを積み重ねていくとどうしても長くならざるを得ない。いわば長文とは魂の発露なのだ。とも思うので、必要な長文を書くときくらいは「すみません」とか書くのやめれば、と思うのですが、どうですか、協会の皆さん。

兎にも角にも、この風潮はどうにかならねえもんかな、そもそもwebだから悪いのか、紙はどうなんだ、作家の方から出版社の方から、次から次へと「すみませんでした」の謝罪を受けたいのか、と朝から考える次第です。短さは端的に。長さはバラエティ。それでいいじゃないか、夏。

ということを、ダラダラ長文で書いてみました。端的に書けば「必要なら長文でもいいじゃん」(13文字)ということです。ダラダラ長文はイーブル。

長文ですみません。